珍しく、氷結片手に、イタリアで買ってきたジャンドゥーヤをつまみに、TVを見てたら、

フリーダイビングでキレイなお姉さんが海をどんどん奥底まで気持ち良さそうに潜ってた。


その姿が、サンタマルゲリータで出会ったミラノ在住の日本人カメラマンの女性に重なって見えた。

何カ国語も操る口唇、日に焼けた肌、黒い髪、黒い瞳。


講習会の仲間が日本に帰った後、一人になったわたしは、

時間を持て余すのかと思いきや、ラッキーなことにその女性と一緒に過ごすことが出来たのです。

もっぱら食事をするか、ビーチで過ごすかなのだけれど。


サンタマルゲリータのいくつかのビーチに一緒に行ったけれど、

その女性はとても気持ち良さそうに泳いでた。

足のつかない沖の方に出て、「かわいい魚がいる〜」と言ったり、

岩場で足を切っても「へへへ〜」みたいな、へっちゃら顔。


私はというと、足がつかないのが怖くて、一見溺れてるのではないかという泳ぎっぷり。

岩場で足を切るのが怖くて、ビリケンシュトックは履いたまま。。。

ほんの少し沖に出れば可愛い魚が沢山泳いでいるのに。

魚がどんなに泳いでいてキレイで、みんなが気持ち良さそうに泳いでいても、

そう、TVの女性も言ってた。「人間の本能」で脳が怖くて体が言うことをきかない。

ある程度、足のつかないエリアで泳げたとしても、

息が持つかどうか、岸に戻るまでの時間を逆算して、

足早に足のつかないエリアを離れようとする。


泳ぎに自信がないというのも理由の一つだけれど、

人間的に、性格の部分として、わたしは強くないのだ。

とても臆病で心配性で、ある意味、自分が可愛くて仕方ないのだろうと思う。

だから、TVの女性が言ってた「人間の本能」に負けてしまうのでしょう。


日本に帰ってきてから、ポップスでお世話になっている先生に声を聞いてもらったとき、

「良い声が出る瞬間はあるけれど、何か恐怖心を感じているようだ」

と、言われて、とても、「なるほど」と思った。

それは、海で可愛い魚のいる足のつかないエリアを泳ぐのととても似ている。

「良い声がでる」というのは、今まで自分がしていなかった歌い方であって、

それは未知の領域だから、とても怖いのだと思う。だから、恐る恐る、声を出すことになる。

今まで自分が信じていた歌い方を一度忘れて、新しい方向へ向かっていく、

しかも、結果的にもしかしたら今より悪くなるかもしれない、それはわからない。

それでもチャレンジする、恐怖心を拭い捨てる。

現状にしがみつくのは、やめる。

臆病で心配性で自分が可愛くて仕方ないわたしだけれど、

こういう思考をもって歌を考えていく必要があるな、と、

先生に「恐怖心」という言葉をもらって、考えが巡りました。


そして、その「恐怖心」は日常生活のいろんな局面でもやってきます。

「こうなりたい」と思う自分と、「でも、そうしたら〜になっちゃう」みたいな恐怖心。

それも、「人間の本能」?

でも、以前、ある人に、「人間は、怖いと思うことは、本当はやってみたいことなんだ」

と言われた言葉も頭をよぎる。

それは、恐怖心すら感じさせる「こうなりたい自分」のことなのかな。


例えば、わたしはおそらくずっと「普通」の人生を送ってきていて、

これからもその「普通」を求めていくのだろうけど、

もはや世の中全体が、「普通」にとてもステータスを置いていて、

「普通」が中々手に入りにくい時代がこれから始まる予感がする。

(例えば、結婚して子供を産んで、孫が産まれて・・・とかね。)

そういうとき、その時こそ、海の奥底を恐れること無く泳いでいく、

「人間の本能」に負けない強さ、が、生きる上で必要になってくるんじゃないかな。


そんなことを思いました。

TVのお姉さんも、イタリアで出会ったカメラマンのお姉さんも、

恐れることなく生きている姿がとてもとても綺麗でした。

珍しく家でお酒を飲んで考え込んでしまったけれど、大事と思ったので書いておきます。